サポート奮闘記その1
今年の夏はとりわけ厳しい暑さが続きましたね。その中で、ある家庭の訪問サポートの報告をさせて頂きます。
彼(仮でT君とします)と今回で3回目の訪問ですが、1回目はドア(鍵が掛かり)の外からの呼びかけにも全然反応が無く、その日は、両親との話し合いで、引き上げました。もちろん両親との会話も全く無く、拒否反応とのことです。
2回目の訪問は彼に部屋の外から話しかけるが、ラジカセの音で聞こえないように、防御している様子。20分くらいの時間が過ぎ、今日も反応なし、両親は申し訳ないと私に気を使われていましたが、そんなことは全然気にしないで下さい、と帰る。
いよいよ3回目の訪問に入りました。お父さんが庭の手入れをしながら、私を待ってくださって、彼の訪問後の状況を聞くが、反応がまったくないとのことです。今日は前回と別の部屋で小さな声で両親と会話中に彼がトイレに入った様子、すかさず彼がトイレから出てくるのを待つことに。1分後、ついに彼が私の前に現れました。彼も予期しない出来事に「あっ!びっくりした!」と声を上げ、私を避けるように急いで自分の部屋に入りました。この後、彼に15分位話しかけましたが、反応はナシ。しかし、このことがキッカケに彼との1歩が今、始まったのです。

その後、相変わらず引きこもっている状態が続いている様子、あれから何回か訪問をしているが、全然反応はなく、両親もどうすればよいか頭を抱え込んでいる。あせらず、ゆっくりやりましょう。と両親を説得するが、私が少し焦り気味かもしれません。 6 回目の訪問もドアの外から呼びかけるが、本人は部屋の中で時々歩いている様子。
私はトイレの前で 1 回だけ、数秒間顔をあわせているのでもう少しことは進むと自身を持っていたのですが、もちろんこの位の抵抗は当たり前、その日も 50 分くらい、私のひとり言で終わってしまいました。その後、両親と話し合い、いよいよ彼に対して決断をする時がやってきたのです。
相変わらずサポートを拒否する彼(T君)への決断とは、出てきた彼を住まわせるセンター近くのアパートの準備、6畳一間にバス・トイレ・4階建ての4階部分の部屋を借り、これから先は寒くなるということで、両親と私と近くのナフコに行き、こたつ、照明灯、日用品などを買いそろえ受け皿を完了。あとは、彼をなんとしても説得し、決断させること。しかしながら受け皿は作ったものの果たして彼が出てこれるのかどうか、不安一杯の中ついに決行の日を迎えました。決行前日、お父さんから電話があり、明日午後からということにきまりました。
センターを昼過ぎに出発、道中いろんなことを考えながら私の気持ちは不思議と落ち着いていました。彼(T君)の自宅に到着、早速両親と最終打ち合わせを行いました。いまだに両親と全く話をしない状況ですから原因がハッキリつかめません。取り合えず両親に問題があるのなら謝罪をして下さいとお願いし、いよいよ彼の部屋の前に・・父親からの呼びかけにも全然応答がないのでいよいよ決断の時、金属バットのつっかえ棒をうまく浮かしたことで、彼の部屋に初めて入りました。その様子に動じることなく彼は平然とテレビを見ながら食事中。全く動揺した気配もありません。彼(T君)はテレビを見ながら、動揺した様子もなく、食事をとっているではないですか・・
彼(T君)の髪の毛は肩まで伸び、ヒゲもかなり伸び、まるで易者のような、なんともいえない状況でした。私も両親も正座し、このままではどうにもならないと説得を繰り返すが、びくともせず、もくもくとアジの干物に箸をつけています。お母さんも足が悪い中、それでも正座をしながら何とかしようと一生懸命に訴えているが本人は他人事のように一言も反応しません。私はこの間随分時間が経過しているのがわかりました。なぜなら私の足がしびれてどうにもならなくなっていましたから・・
朝、家を出るとき「今日は帰れないかもしれないよ」と女房に話していたぐらいですから・・これぐらいのことで引き下がる訳にはいきません。少し休憩タイムを取り、再度私が説得に入りました。その間、両親には彼の身のまわりの物を車に積んでおくことを頼んでおきました。何時間くらいが経過したのだろうか?後で分かったことですが、3時間も経っていたのです。やっと彼が重い腰をあげました。そして長く伸びたヒゲをハサミでカットし、ヒゲを剃り始めました。私は玄関に車をつけ、彼の身支度が終えるのをじっと待ちました。その後、無言で私の車に乗り込み、センターに向けて出発しました。その時、お母さんの顔が涙ぐんで送っている姿が印象的でした。
今、彼にとって人生の再出発が始まろうとしています。センターに向かう車中、バックミラーで彼(T君)の様子を見るが、無言で不安そうな表情、無理もありません、1年数ヶ月自室で引きこもる生活だったのですから・・・何度も通った道中も今回だけは、とても長く感じました。やっと彼(T君)の自宅から18時過ぎセンターに到着、待ってくれていた人達からいっせいに拍手が沸く、とりあえず彼の手荷物などを皆の協力で自室に運び込む、彼(T君)の父親も当分センターに泊り込む予定です。実際ここ迄、連れてはきたが、自室でカギをかけて出てこないのではないだろうか、様々な不安が渦巻く中、その日の長い長い一日が終わりました。
次の日、彼の部屋のチャイムを鳴らし訪問するとカギを開け無言で私を迎えてくれたではないですか、内心ホットしました。昼食はセンターのほうで弁当を用意してあるので食べに出てくるよう指示し歩いて2〜3分のセンターに戻り、彼を待っていましたが、彼(T君)は現れませんでした。再度こちらから弁当を持っていく事にしそんな日が2〜3日続きました。11月15日(金)月に一度の鍋の会に彼は現れました。『T君良く来たね』と声をかけ、まだすぐ皆と話せる状況では、ないけれど、取り合えず一安心、センターに泊り込んでいたお父さんも大変な喜びでした。
その後の彼は、日1日と元気になり、毎日センターに出てこれるようになり、なべの会、郊外活動とこなし、1月9日第二回のパソコン教室のインストラクターをする迄に成長し、私達にも笑顔で接しています。ほんの2ヶ月前迄のひきこもり生活が信じられない程の成長をしてくれました。この活動はとても大変だけれど『よかった』と思えるのはこの喜びがあるからなんだと、つくづく思います。両親も信じられないと涙ぐんで話されていました。彼(T君)はセンターに通っている若者にも『もしサポート訪問がなかったら10年位、引きこもりをしていただろう』と話していたそうです。これからも長い人生いろんな事があるかも知れません。でも引きこもるような事はもう絶対にない、そして決してそうさせてはならないと、彼の笑顔を見ていて、強く思いを新たにしました。(完) |